九星は立春を1年の始まりとみています。
二十四節気には節と中があり、九星は節を1つの区切りとしています。年の九星は立春(旧正月説)から、月の九星は立春に続く各節切(啓蟄→清明→立夏→芒種 … →小寒)から始まります。
当サイトは上昇気運の震・巽と、下降始めの乾・兌を吉と見ています。
考え方には諸説あり、1.中宮に入った星を大吉とみる、2.巽、中宮、それに続く乾の上位3つを吉とみる、また、中宮には方位が存在せず八方塞がりとなることから、3.巽・乾の2つを吉とみる等があります。いずれにしても巽・中宮・乾の3年間が9年間のうちの上位位置を占めていることから、方位のない中宮を外した震・巽・乾・兌の上位4つを吉としました。
陽遁と隠遁の道
九星には陽遁と隠遁の巡りがあります。陽遁は①→②→③→④→⑤→⑥→⑦→⑧→⑨の巡りで、隠遁は⑨→⑧→⑦→⑥→⑤→④→③→②→①と、逆の巡りをします。
年と月は隠遁のみですが、日の九星は夏至と冬至の直前の甲子で入れ替わります。
巽の位置は、中宮(上昇頂点)に入る手前の上昇気運です。中宮は気運の頂上に位置していることから、下降始まりの要素も持っています。頂点に達した気運は下降していきます。
坎は、後天八卦では北の底辺に位置し、九星では一白水星、始まりの場所一(いち・①)を表します。
自然の原理を表した先天八卦では、坎は西に位置しています。太陽は東から上り、南半球を回り西に沈みます。そこからまた太陽は地中をまわり東に顔を出します。そのため西は結実、収束の場所でもあり、新たな出発の場所でもあります。
低迷とは、最初(元の位置)に立ち返り、過去を反省し、将来を考える場所という意味です。
「天垂象見吉凶、聖人象之。 河出圖、洛出書 、聖人則之」
(天、象を垂れ、吉凶を見(あらわ)す。聖人これに象る。河は図を出し、洛は書を出す。聖人これに則る)『易経』繋辞上伝
これが易(卦)、つまり東洋占術の始まりと考えられます。
九星の数字1から9までの配置は、夏王朝(紀元前2070年頃 – 紀元前1600年頃)禹王伝説の「洛書」が基になっているといわれています。
八卦には先天八卦と後天八卦があり、先天八卦は人間が自然界での生活から生まれ、後天八卦は人間が火を使い、物を作るようになり、さらに集団生活をするようになり、人間形成をする上で導き出されました。
現在の八卦は、後天八卦が主に使われていますが、そのものの本質を知るために先天八卦で見ることもあります。
萬物出乎震, 震東方也。
齊乎巽, 巽東南也。齊也者言萬物之絜齊也。
離也者明也, 萬物皆相見, 南方之卦也, 聖人南面而聽天下, 嚮明而治, 蓋取諸此也。
坤也者地也, 萬物皆致養焉, 故曰致役乎坤。
兌正秋也, 萬物之所説也, 故曰説言乎兌。
戰乎乾, 乾西北之卦也, 言陰陽相薄也。
坎者水也, 正北方之卦也, 勞卦也, 萬物之所歸也, 故曰勞乎坎。
艮東北之卦也, 萬物所成終而所成始也, 故曰成言乎艮。
万物は震に出ず。震は東方なり。
巽に斉う。巽は東南なり。
離は明なり。万物皆な相い見る。南方の卦なり。聖人南面して天下に聴き、明に嚮いて治む。蓋しこれをここに取るなり。
坤は地なり。万物皆な養を致す。
兌は正秋なり。万物の説ぶところなり。
乾は西北の卦なり、陰陽相い薄るを言うなり。
坎は水なり。正北方の卦なり。労卦なり。万物の帰するところなり。
艮は東北の卦なり。万物の終りを成すところにして始めを成すところなり。
震から物事が動き出す。天の働きは震から始まる。後天八卦では震の方位は東。
ここでいう本命星とは、現在の九星でいうところの本命星とは異なり、北斗七星 + 補星を合わせた北斗九星にまつわるものです。
本命星は、生まれ年の十二支が北斗九星のいずれかの星に属することで、平安時代は、人の一生は本命星の巡りによって左右すると考えられていた。
その年が自分の本命星にあたる場合、本命星の反対にある星は凶となり、凶方位へ行くことは避けられた。しかし、どうしても、その方向へ出向く必要がある場合、方違えという方法がとられた。例えば、本命星が、酉(西)の場合、対する方位は卯(東)。東に直進できない場合、一旦別の方角に進み、そこから目的の場所へ進む方法がとられた。
「貪狼星日天子精也、子。巨門星月天子精也、丑亥。禄存星火星、寅戌。文曲星水精也、卯酉。廉貞星土星精也、辰申。武曲星木精也、巳未。破軍星金精也、午」
『陰陽雑書』「第卅三、本命星」
現在の九星は天空の星とは関係がなく、9つの駒の巡りですが、考え方は引き継いでいます。
現在の九星は主に後天八卦で占ることが多い。
内に秘められた生まれ持った性質を見る場合、先天八卦を使用することがある。